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リバプールとは…
リヴァプールはプレミアリーグに所属しているプロサッカークラブです。正式名称をリヴァプール・フットボール・クラブといいます。愛称はレッズです。
ホームタウンは、リヴァプールで、
ホームスタジアムは、アンフィールドです。
アンフィールドにはKOPと呼ばれるスタンドがあります。このことからサポーターはコップ(Kopites)といわれています。
ライバルチームはエバートンです。元々アンフィールドはエバートンの本拠地でした。アンフィールドのオーナーであったジョン・ホールディングが賃上げを要求したところ。エバートン側は拒否し、これを機にグディソンパークに本拠地を移しました。残ったのはスタジアムだけでアンフィールドを有効活用しようとしたジョン・ホールディングはリヴァプールを創設しました。
リバプールとエバートンの試合はマージ―サイドダービーと呼ばれています。これは「マンチェスターダービー」、「ノースロンドンダービー」と並びプレミアリーグの三大ダービーの一つ、すごい盛り上がりを見せます。
歴史
1892年 リヴァプールFCが創設される。
1893/94シーズン フットボールリーグで2部優勝をする。この年の昇格・降格プレーオフでマンチェスターUの前身である「ニュートンヒース」を下し1部に昇格する。
1900/01シーズン クラブ初リーグ優勝をする。
1959年 ビル・シャンクリが監督になる。
彼の改革は革新的で、まず24人もの選手を解雇しました。そして、スパイクの保管室をコーチングスタッフたちとのミーティングルームに変えました(ブートルーム)。数々の名称を育てました。
1962/63シーズン 一部昇格を決める。
1963/64シーズン 一部リーグ優勝をする。
1965/66, 1972/73シーズン 一部リーグを優勝する。
1974年 ビル・シャンクリが監督をやめる。後任はブートルームで一緒にミーティングを行っていたボブペイズリーでした。
1975/76シーズン リーグ優勝をする。UEFAカップ優勝をする。
1976/77シーズン リーグ優勝をする。UEFAチャンピオンズカップ優勝をする。
1983年 ボブペイズリーが監督をやめ、ジョーフェイガンが監督になる。ジョーフェイガンもブートルームで育った監督でした。
1981/82, 82/83, 83/84 とリーグ優勝をし、クラブ史上初の3連覇をする。83/84シーズンにはチャンピオンズカップ優勝をする。
1985年 リヴァプール対ユベントス戦でヘイゼルの悲劇が起こる。サポーター同士がし衝突し、39人の死者がでて、400人の負傷者が出る。これにより、イングランド勢は6年間UEFA主催の試合への参加を禁止される。この事件に責任を感じフェイガンは監督を辞任する。後任にはケニー・ダルグリッシュが監督になる。
1989年 ヒルズボロの悲劇が起こる。FAカップ準決勝のリバプール対ノティンガム・フォレスト戦でゴール裏の立見席に人が殺到し96人の死者が出る。
1989/90シーズン リーグ優勝をする。しかし、この後リーグ優勝はなく。プレミアリーグになってからも優勝経験はない。
2015年 ユルゲンクロップが監督になる。
2018/19シーズン UEFAチャンピオンズリーグで優勝する。
選手
サディオ・マネ
マネは1992年生まれのセネガル出身の選手です。セネガル代表にも選ばれています。ポジションはフォワードです。リバプールでは左ウィングをつとめています。マネは15歳までセネガルの貧しい村で育ちました。本当に何でもできる選手です。パス、ドリブル、スピード、シュートの決定力などフォワードに必要な要素を持っています。マネはフィルミーノ、サラーとプレミアリーグでも屈指の3トップを形成しています。彼にボールが渡ると次に何をするのかわかりません。また、マネは故郷のセネガルに学校を立てています。
モハメド・サラー
サラーは1992年生まれのエジプト出身の選手です。エジプト代表の選手です。ポジションはフォワードでリヴァプールでは右サイドウィングをつとめています。スピードがありシュートの決定力もあります。エジプトでは英雄視されてり、大統領選では立候補していないのにもかかわらず100万票がサラーに入り2位になりました。ホントは胸毛は毛がびっしりですが、除毛しちゃいました。最近、髪のボリュームが減ってきました。
ロベルト・フィルミーノ
フィルミーノは1991年生まれのブラジル出身の選手です。ブラジル代表にも選ばれています。ポジションはフォワードで、リヴァプールではセンターフォワードをつとめています。フィルミーノはセンターフォワードですが、がっつりストライカーという感じではありません。マネやサラーを生かすためのスペース作りやオフザボールの時の動きがうまいです。それだけでなく、シュートの決定力も高く自分でゴールを決めることもできます。流動的で多彩な攻撃パターンを形成することができるのもフィルミーノのおかげです。ちなみに、フィルミーノはクロップを同じ歯医者でホワイトニングをしてもらっています。
フィルジル・ファン・ダイク
ファン・ダイクは1991年生まれのオランダ出身の選手です。オランダ代表にもえらばれています。ポジションはDFでリヴァプールではセンターバックをつとめています。ファンダイクの特徴は何といっても背の高さとフィジカルです。なかなか競り負けることはなく、相手との1対1では負けません。さらにカバー力もすごいです。ロングパスも得意で試合に詰まってきたときはファンダイクがよくロングパスを出し、マネやサラーが点を決めています。今のところ世界最高のセンターバックでしょう。昨年はUEFAの最優秀選手賞に輝いています。DFが選ばれるのは初めてです。
アリソン・ベッカー
アリソンは1992年生まれのブラジル代表の選手です。ブラジル代表にも選ばれたことがあります。ポジションはGKです。セーブ率の高さはもちろんのこと、足元のあるゴールキーパーです。足元の失敗でやらかしてしまったカリウスに代わりリヴァプールのゴールキーパーになりました。代表ではエデルソンとスタメン争いをしています。
監督
ユルゲン・クロップ
クロップは多くの戦術を生み出してきた監督です。かつては、ドルトムントでも監督をしていました。当時のドルトムントには香川真司がいます。ドルトムントでは二度のリーグ優勝をしています。リヴァプールにもUEFAチャンピオンズリーグ優勝をもたらしています。彼の監督したクラブはとても組織力の高く、洗礼された戦術の元プレーをします。
最後に…
リヴァプールはメガクラブと呼ばれるほどの歴史と多くのファンを持っています。1989年以降リーグ優勝から遠ざかっていましたが、今季のプレミアリーグでは首位を独走しています。この記事一つでは書ききれなかったので、またリヴァプールについての記事を書いていきたいと思っています。
ここまで見てくれてありがとうございます!
ぜひほかの記事も見てみてください!
ほな!
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